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  • 4月21日は、プリンセス プリンセスがガールズバンドの景色を塗り替えた日を思い出す

    4月21日は、プリンセス プリンセスがガールズバンドの景色を塗り替えた日を思い出す

    4月21日は、プリンセス プリンセスの代表曲「Diamonds<ダイアモンド>」が1989年に発売された日。明るく突き抜けるポップネスの奥に、バンドとして時代を押し広げた強さが詰まっている。日本のポップスとロックの流れを振り返るうえでも、この曲の登場はかなり大きい。

    1989年4月21日、「Diamonds<ダイアモンド>」が発売された

    プリンセス プリンセスは1980年代後半から存在感を高めた5人組バンドで、奥居香(現・岸谷香)を中心に、ソングライティング、演奏、ステージングのすべてで強い個性を示した。1989年4月21日に発売された「Diamonds<ダイアモンド>」は、彼女たちにとって最大級の代表曲のひとつであり、同年の音楽シーンを象徴する大ヒットとなった。女性だけのバンドが大衆のど真ん中を射抜いた出来事としても、日本の音楽史の中で特別な位置を占めている。

    ガールズバンドの可能性を一気に広げた意義

    プリンセス プリンセス以前にも女性ミュージシャンはもちろん活躍していたが、バンドとして国民的な規模で支持を集め、楽曲そのものも長く歌い継がれる水準まで届かせた例は限られていた。「Diamonds<ダイアモンド>」は、華やかさや親しみやすさを持ちながら、演奏する主体としてのバンドの自立した姿もはっきり伝えた。その意味でこの曲は、単なるヒットソングではなく、後続の女性バンドや女性ボーカルグループが前に進むための景色を作った一曲だったと言える。

    今日聴くなら

    今日はまず「Diamonds<ダイアモンド>」を聴いて、その高揚感とバンドの推進力をあらためて味わいたい。あわせて「M」や「世界でいちばん熱い夏」まで辿ると、プリンセス プリンセスが単発のヒットではなく、感情の振れ幅ごと多くの人に届くバンドだったことがよくわかる。4月21日は、日本のガールズバンド史が大きく開いた瞬間を耳で思い出したい。

  • 6月2日は、プリプリの鼓動を支えた富田京子の言葉とリズムを思い出す日

    6月2日は、プリプリの鼓動を支えた富田京子の言葉とリズムを思い出す日

    6月2日は、プリンセス プリンセスのサウンドを足元から支えた富田京子の誕生日だ。派手なフロントマンシップだけでは語れないバンドの強さは、ドラマーのリズム感と、曲に息を吹き込む言葉の力によって作られる。富田京子の仕事をたどると、80年代から90年代のJ-POPがどう熱を帯びていったのかも見えてくる。

    1965年6月2日、富田京子が生まれた

    富田京子は1965年6月2日生まれ。中学時代に吹奏楽部で打楽器を担当したことをきっかけにドラムを始め、1983年のTDKレディスバンドオーディションを経て、のちのプリンセス プリンセスへとつながるキャリアを歩み始めた。1984年には前身バンド赤坂小町のドラマーとしてデビューし、その後プリンセス プリンセスの一員として日本のガールズバンド史に大きな足跡を残す。バンドの推進力を担うドラミングはもちろん、ステージ全体の熱量を底から押し上げる存在感も、プリプリの魅力を語るうえで欠かせない。

    ドラマーであり、言葉の書き手でもあった意義

    富田の重要さは、単にドラムを叩いていたことだけではない。プリンセス プリンセスでは作詞も多く手がけ、「M」や「世界でいちばん熱い夏」など、バンドの代表曲群に結びつく言葉の世界を支えたことで知られる。ガールズバンドがまだ色物や一過性として見られがちだった時代に、演奏とソングライティングの両面で存在感を示したことは大きい。プリプリが“ヒットした女性バンド”にとどまらず、世代を超えて聴き継がれるポップ・ロックの基準点になった背景には、富田のように裏方と前線の両方を担えるメンバーの厚みがあった。

    今日聴くなら

    今日はまず、「M」と「世界でいちばん熱い夏」を続けて聴いてみたい。前者では言葉の切実さ、後者ではバンドの推進力と高揚感がよくわかる。さらに初期の映像やライブ音源に触れると、プリンセス プリンセスが単なる懐メロではなく、演奏する5人の身体性で時代を突破したバンドだったことも実感できるはずだ。6月2日は、メロディの奥で鳴り続けるドラムと、曲に残る言葉の強さに耳を澄ませたい日である。