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  • 4月17日は、高見沢俊彦がTHE ALFEEをロックバンドとして研ぎ澄ませた軌跡をたどる

    4月17日は、高見沢俊彦がTHE ALFEEをロックバンドとして研ぎ澄ませた軌跡をたどる

    4月17日は、THE ALFEEの高見沢俊彦の誕生日。長いキャリアのなかで彼は華やかなギター・ヒーローとして語られることが多いが、日本のポップスとロックの間にある壁を少しずつ壊してきたソングライターでもある。THE ALFEEの輪郭を形づくってきた、その仕事を今日は聴き直したい。

    4月17日生まれ、高見沢俊彦がTHE ALFEEの芯になっていくまで

    THE ALFEE Mobileのプロフィールによれば、高見沢俊彦は1954年4月17日生まれ。THE ALFEEは1973年に明治学院大学キャンパスで出会って結成され、翌1974年8月25日にシングル「夏しぐれ」でデビューしている。Wikipediaでも、高見沢は初期からバンドに参加し、のちに多くの楽曲の作詞・作曲を担う中心人物になったことが確認できる。さらにTHE ALFEE公式サイトでは、1979年1月21日に「ラブレター」で再デビューしたことが記されている。初期のフォーク色を通り抜けながら、自分たちの言葉とメロディで進む道をつくっていった過程には、高見沢の粘り強い創作姿勢がはっきり表れている。

    フォークからロックへ、バンドの景色を押し広げた意義

    高見沢の仕事が特別なのは、単に目立つギタリストだったからではない。Wikipediaによれば、1982年にTHE ALFEEは高見沢主導でフォーク路線からロックバンド路線へと舵を切り、彼がリーダーを務めるようになった。その変化の先にあったのが、1983年の大ヒット曲「メリーアン」である。アコースティックな親しみやすさを残しながら、大きな会場で鳴るロックのスケール感へ踏み出したことで、THE ALFEEは歌謡曲ともニューミュージックとも違う独自の立ち位置を獲得した。高見沢のハイトーンボーカル、ドラマチックなメロディ、そしてステージ映えするギターサウンドは、80年代J-ROCKの派手さを先取りしながら、同時に世代を超えて届く大衆性も保っていた。その両立こそが、日本の音楽シーンに残した大きな足跡だと思う。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはデビュー期の「夏しぐれ」で出発点を確かめたい。そのうえで1979年の「ラブレター」を聴くと、再び前へ進もうとするバンドの意志が見えてくる。そしてやはり外せないのが「メリーアン」。THE ALFEEが一気に国民的な存在へ広がっていく瞬間の勢いが詰まっている。4月17日は、高見沢俊彦という個性の強いプレイヤーを祝う日であると同時に、彼が書き続けてきた曲によってTHE ALFEEがどう進化したのかをたどるのにちょうどいい日だ。