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  • 6月9日は、ロックの日に日本のロックが広げてきた自由を思い出す

    6月9日は、ロックの日に日本のロックが広げてきた自由を思い出す

    6月9日は「ロックの日」。語呂合わせの記念日として親しまれる日だが、日本の音楽を振り返る入口としてもかなり面白い。日本のロックは海外の模倣から始まっただけではなく、日本語で何を叫び、何を鳴らし、どこまで大衆へ届くのかを更新し続けてきた。その流れを思い出すには、6月9日という日付はちょうどいい。

    6月9日は「ロックの日」として親しまれてきた

    6月9日が「ロックの日」と呼ばれるのは、もちろん「6=ロク」「9=ク」で「ロック」と読ませる語呂合わせからだ。公式な音楽史上の転換点というより、リスナーやメディアが毎年あらためてロックを聴き直す口実として機能してきた記念日と言ったほうが近い。ただ、その軽やかな入口のおかげで、日本のロックが持ってきた反骨、青春、生活感、そして言葉の強さを一気にたどり直せる。記念日そのものより、その日に何を聴きたくなるかが大事なのかもしれない。

    日本のロックが広げた表現の自由

    日本のロックを一本の線で語るのは難しいが、たとえばはっぴいえんどが日本語ロックの可能性を切り開き、RCサクセションが生々しい言葉と身体性を前に出し、BOØWYやTHE BLUE HEARTSがロックバンドを時代の真ん中へ押し上げた流れはやはり大きい。その後もX JAPAN、L’Arc〜en〜Ciel、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ONE OK ROCKまで、それぞれ違う方法でロックの射程を広げてきた。爆音や反抗だけでなく、メロディー、思想、ファッション、ライブの共同体感覚まで含めて、日本のポップカルチャーを動かしてきたのがロックだった。

    今日聴くなら

    今日はまず、はっぴいえんどの楽曲で日本語ロックの出発点を確かめたい。そのあとRCサクセションやTHE BLUE HEARTSを聴けば、ロックが単なる様式ではなく、言葉を切実に届けるための器だったことがよくわかる。さらにBOØWYやX JAPANまで進むと、ロックがいかに大きな熱狂を生む大衆音楽でもあったかが見えてくる。6月9日は、好きな一曲に戻るだけでもいい。日本のロックが何度も更新してきた“自由に鳴らす”感覚を、あらためて耳で思い出したい。

  • 6月8日は、GLAYのTERUがロックの入口を広げた歌声を思い出す

    6月8日は、GLAYのTERUがロックの入口を広げた歌声を思い出す

    6月8日は、GLAYのボーカルTERUの誕生日だ。1994年のメジャーデビュー以降、GLAYはJ-POPの真ん中でロックバンドのスケール感を更新し続けてきた。その中心でフロントマンを務めるTERUの歌声は、90年代以降の日本の大衆音楽における“届く声”の基準を大きく塗り替えた。

    1971年6月8日、TERUが函館に生まれた

    TERUは1971年6月8日、北海道函館市生まれ。1988年にTAKUROに誘われてGLAYを結成し、当初はドラマーとして参加したが、デモテープに自ら歌を入れたことがきっかけでボーカルへ転向した。1994年5月25日、GLAYはシングル「RAIN」でメジャーデビュー。TERUの伸びやかで輪郭のはっきりした歌声は、バンドサウンドの勢いを保ちながらもメロディを大衆へまっすぐ届ける力を持ち、以後の大ブレイクの核になっていく。

    J-POPとロックの距離を縮めた歌声の意義

    GLAYの成功が大きかったのは、ロックバンドのダイナミズムを保ちながら、広い層に開かれたポップネスを成立させたことにある。その前面にいたTERUは、高音の抜けの良さと感情の乗せ方で、激しい曲でもバラードでも聴き手を置いていかないボーカリストだった。「HOWEVER」や「誘惑」のように異なる質感の代表曲がどちらも強く届いたのは、彼の声が派手さだけでなく親しみやすさを兼ね備えていたからだ。90年代後半の日本で、ロックバンドが国民的な存在になれた背景を考えるとき、TERUの存在は外せない。

    今日聴くなら

    今日はまずメジャーデビュー曲「RAIN」で、GLAY初期の繊細な陰影を確かめたい。そのあと「HOWEVER」を聴けば、TERUの声がバラードでどれだけ広い景色を作れるかがよくわかる。さらに「誘惑」まで並べると、同じボーカリストが切なさと疾走感をどちらも自分のものにしていることが見えてくる。6月8日は、90年代以降の日本のロックがどうやって“みんなの歌”になったのかを、TERUの声からたどり直したい。

  • 5月30日は、LUNA SEAが10万人の景色を刻んだ伝説の野外ライブを振り返る

    5月30日は、LUNA SEAが10万人の景色を刻んだ伝説の野外ライブを振り返る

    5月30日は、日本のロックが“規模”でも“物語”でもひとつの到達点を見せた日だ。1999年のこの日、LUNA SEAは東京・お台場で「10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞」を開催し、10万人規模の観客を集めた。しかも直前には強風でステージセットが倒壊するアクシデントが起き、それすら伝説の一部になっている。

    1999年5月30日、LUNA SEAが10万人を集めたお台場公演

    LUNA SEAは1999年5月30日、お台場の特設会場で結成10周年ライブ「10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞」を開催した。チケット枚数に上限を設けないという大胆な発想のもとで実現したこの公演は、最終的に10万人を動員したことで知られる。開催直前には強風によってステージセットが崩れるアクシデントも発生したが、公演は中止にならず、その異様な光景ごと観客の記憶に焼き付いた。単なる大型ライブではなく、LUNA SEAというバンドのスケール感と時代の熱量を可視化した一夜だった。

    ヴィジュアル系の枠を超えて日本のロック像を更新した

    LUNA SEAの重要さは、90年代ヴィジュアル系シーンの中心にいたことだけではない。アリーナやドーム級の動員力を持ちながら、耽美性、攻撃性、メロディアスさを同時に成立させ、日本のロックバンドが大衆性と先鋭性を両立できることを示した点にある。お台場の10万人ライブは、その集大成のような出来事だった。巨大な会場に集まった観客の熱狂は、バンドが単なる人気者ではなく、世代の空気を背負う存在だったことを証明している。後続のバンドが“景色を作るライブ”を目指すとき、この日の影響は無視できない。

    今日聴くなら

    今日はまず「ROSIER」でLUNA SEAの爆発力を体感したい。続いて「END OF SORROW」を聴けば、彼らが持っていたメロディの強さと開放感がよくわかる。そして「I for You」に進むと、巨大なバンドでありながら繊細な感情表現を失わなかった理由が見えてくる。5月30日は、単に“10万人集めた日”としてではなく、日本のロックがどこまで大きな夢を描けるかを証明した日として思い出したい。

  • 5月2日は、鮎川誠が生まれためんたいロックの源流を振り返る

    5月2日は、鮎川誠が生まれためんたいロックの源流を振り返る

    5月2日は、鮎川誠の誕生日。サンハウス、そしてシーナ&ザ・ロケッツで鳴らされたあのギターは、日本のロックが英米の模倣だけでは終わらず、土地の匂いをまとったまま前に進めることを示した。福岡から立ち上がった荒っぽさと品の良さが同居するサウンドの源流を、この日に改めてたどってみたい。

    1948年5月2日、鮎川誠が福岡県久留米市に生まれる

    鮎川誠は1948年5月2日、福岡県久留米市生まれ。のちに1970年にサンハウスを結成し、1975年にメジャー・デビュー、さらに1978年にはシーナ&ザ・ロケッツを結成した。福岡のシーンから出てきた彼のギターは、ブルースやロックンロールへの深い愛情を土台にしながら、湿度を含んだ日本語ロックの手触りへつながっていく。1979年にはシーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」が広く知られ、鮎川の名前は“めんたいロック”を語るうえで欠かせないものになった。誕生日そのものは一見静かな節目だが、日本のロック史では、この日に生まれた人物が後の景色をかなり変えたと言っていい。

    日本のロックを“輸入文化の写し”で終わらせなかった存在

    鮎川誠の重要さは、単に名ギタリストだったことだけではない。サンハウスでの剥き出しの演奏、シーナ&ザ・ロケッツでのポップさと爆発力の両立によって、日本のロックがもっと生活感のある言葉と身体感覚を持てることを証明したところにある。さらにYMO作品やライブにも関わったことで、パンク、ロックンロール、ニューウェイヴがゆるやかにつながる80年前後の日本の音楽地図にも姿を残した。東京発の洗練とは別の文脈から中心へ食い込んだ鮎川の歩みは、地方からでも独自の美学で全国区になれるという希望そのものでもあった。

    今日聴くなら

    今日はまずサンハウスの荒々しさに触れてから、シーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」やアルバム『真空パック』へ進みたい。ギターの切れ味だけでなく、バンド全体の重心の低さや言葉の乗り方に耳を向けると、鮎川誠がただ“かっこいいロックの人”で終わらない理由がよくわかるはずだ。5月2日は、日本のロックがどこから熱を帯びたのかを思い出す日にちょうどいい。

  • 3月17日は、甲本ヒロトの誕生日から日本のロックのまっすぐさを聴き返す

    3月17日は、甲本ヒロトの誕生日から日本のロックのまっすぐさを聴き返す

    3月17日は、甲本ヒロトの誕生日。日本のロックを語るとき、世代をまたいで名前が挙がるボーカリストは多くないが、その筆頭のひとりが彼だ。叫ぶようでいて親しみがあり、シンプルなのに忘れがたい。そんな歌の強さは、いま聴き返しても少しも色あせない。

    3月17日に生まれた甲本ヒロトと1985年のTHE BLUE HEARTS結成

    甲本ヒロトは1963年3月17日生まれ。1985年に真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成し、日本のロックシーンに決定的な存在感を刻んだ。パンクの初期衝動を持ちながらも、難解さではなく誰にでも届く言葉で歌ったことが彼らの大きな特徴だった。「リンダ リンダ」や「TRAIN-TRAIN」のように、シンプルなフレーズがそのまま時代の空気をつかみ、学生から社会人まで幅広い層に浸透していった流れは、日本語ロックの大きな転換点として今も語られる。

    THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズへ続く一貫した姿勢

    THE BLUE HEARTSの活動休止と解散を経ても、甲本ヒロトの物語は止まらない。真島昌利とともにTHE HIGH-LOWSを経て、2006年からはザ・クロマニヨンズでも活動を継続。バンド名や時代が変わっても、身体ごと前へ出るようなボーカル、ロックンロールへの信頼、子どもにも大人にも届く言葉選びは一貫している。技巧を誇示するのではなく、聴き手の胸にまっすぐ届く歌を鳴らし続けてきたことこそ、甲本ヒロトが長く支持される理由だろう。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはTHE BLUE HEARTSの「リンダ リンダ」と「TRAIN-TRAIN」で、甲本ヒロトの声が持つ爆発力と開放感を味わいたい。さらにザ・クロマニヨンズの楽曲までつなげて聴くと、衝動だけで終わらない持続力がよくわかる。3月17日は、甲本ヒロトの誕生日をきっかけに、日本のロックが持つまっすぐさと自由さをあらためて体感したい日だ。