タグ: 音楽プロデューサー

  • 5月6日は、井上鑑が日本のポップスに洗練された響きを持ち込んだ歩みをたどる

    5月6日は、井上鑑が日本のポップスに洗練された響きを持ち込んだ歩みをたどる

    5月6日は、作編曲家・キーボーディストの井上鑑の誕生日。表に出るスターというより、名曲の響きを内側から決定づけてきたタイプの音楽家だ。日本のポップスが洗練や奥行きを獲得していく流れをたどるとき、この名前はかなり重要になる。

    5月6日生まれ、井上鑑という音楽家

    井上鑑は1953年5月6日生まれ。東京藝術大学大学院修了後、キーボーディスト、編曲家、作曲家、音楽プロデューサーとして幅広く活動してきた。YMO周辺の仕事でも知られ、寺尾聰、福山雅治、大滝詠一、松任谷由実、佐野元春など、多くのアーティストの作品に関わりながら、日本のポップスに洗練された音の質感を与えてきた。ジャンルを横断しつつも、音の配置や余韻の作り方に一貫した美意識が感じられる人物だ。

    派手さよりも“音の品格”で時代を支えた意義

    井上鑑のすごさは、目立つ装飾ではなく、楽曲が自然に豊かに聴こえる音像を作るところにある。キーボードやシンセの扱い、空間の設計、歌を前に出しつつ後ろのサウンドに陰影を与える感覚は、日本のポップスが単なる歌メロ中心から、音そのものの気持ちよさを楽しめる表現へ広がっていく過程で大きな役割を果たした。時代ごとの流行に寄りかかるのではなく、作品の格を静かに引き上げる仕事を積み重ねてきたことが、井上鑑の歴史的な価値だろう。

    今日聴くなら

    今日はまず、井上鑑が関わった代表的なポップスや歌謡曲を聴いて、音の奥行きや手触りに耳を向けたい。寺尾聰『Reflections』周辺のサウンドや、1980年代以降の洗練された日本語ポップスを並べて聴くと、彼の仕事がどれほど広く浸透しているかが見えてくる。5月6日は、前に出るスターだけでなく、音楽の質感そのものを作ってきた裏方の名手に注目したい。

  • 6月7日は、小林武史が生まれた日 J-POPの音像を更新した名プロデューサーの仕事を振り返る

    6月7日は、小林武史が生まれた日 J-POPの音像を更新した名プロデューサーの仕事を振り返る

    6月7日は、小林武史の誕生日。アーティスト本人として前に出るタイプではなくても、日本のポップスを聴いてきた人なら彼の仕事をどこかで必ず通っている。90年代以降のJ-POPが獲得したスケール感、叙情性、そして“歌を主役にしながら音で世界観を作る”感覚を語るうえで、この名前は欠かせない。

    1959年6月7日、小林武史が生まれた

    小林武史は1959年6月7日生まれの音楽プロデューサー、ソングライター、編曲家、キーボーディスト。スタジオミュージシャンや作編曲家としてキャリアを重ねたのち、1980年代後半から90年代にかけて存在感を大きくした。サザンオールスターズや桑田佳祐の作品に参加し、のちにはMr.Children、My Little Lover、Salyu、Bank Bandなどを通して、広い層に届くポップミュージックの音像を形づくっていく。裏方でありながら、時代の響きそのものを作ってきた人物だと言っていい。

    J-POPの“音の風景”を更新した仕事

    小林武史の重要さは、ヒット作の数だけでは測れない。ピアノやシンセの広がり、余韻を生かしたアレンジ、感情を押しつけすぎないのに強く残るメロディーの扱いによって、日本のポップスに映画的な奥行きを持ち込んだ点が大きい。Mr.Childrenの大衆性と繊細さ、My Little Loverの透明感、YEN TOWN BANDやLily Chou-Chouにおけるフィクションと音楽の接続など、彼の仕事は単なる伴奏や装飾ではなく、作品全体の空気を決定づけてきた。90年代J-POPを支えた名プロデューサーの一人としてだけでなく、音楽の聴こえ方そのものを更新した存在として記憶されるべきだろう。

    今日聴くなら

    まずはMr.ChildrenやMy Little Loverの代表曲で、小林武史が作った広がりのあるサウンドを確かめたい。さらにBank BandやSalyuに進むと、彼がメロディーだけでなく、声の置き方や空間の作り方まで含めて音楽を設計していることがよくわかる。映画音楽やYEN TOWN BANDまで辿れば、J-POPと映像文化が濃く結びついた時代の空気も見えてくる。6月7日は、小林武史という裏方の巨人を入口に、日本のポップスがどう深みを獲得してきたかを聴き直したい。

  • 6月3日は、亀田誠治が日本のポップスを更新し続ける耳を持って生まれた日

    6月3日は、亀田誠治が日本のポップスを更新し続ける耳を持って生まれた日

    6月3日は、J-POPの音を裏側から組み替えてきた亀田誠治の誕生日だ。表に立つベーシストとしての存在感だけでなく、編曲家、プロデューサーとして多くのヒットの質感を決定づけてきた彼の歩みをたどると、日本のポップスがどう洗練されてきたかも見えてくる。

    1964年6月3日、亀田誠治が生まれた

    亀田誠治は1964年6月3日生まれ。ベーシストとして活動を重ねながら、のちに音楽プロデューサー、編曲家として広く知られる存在になった。2000年代以降は椎名林檎や東京事変に関わる仕事で強い印象を残しつつ、いきものがかり、平井堅、スピッツ、GLAYなど幅広いアーティストの制作にも参加してきた。演奏者としてのグルーヴ感と、楽曲全体を設計する視点を兼ね備えていることが、亀田のキャリアを特別なものにしている。

    J-POPの音像を磨いてきた意義

    亀田の重要さは、単に名プレイヤーであることだけではない。歌を立てながら、低音で楽曲の芯を作り、同時にバンドと打ち込み、ポップスとロックの距離感を自然につなぐアレンジ感覚にある。90年代後半から2000年代にかけての日本のヒット曲では、メロディの強さだけでなく、音の置き方や余白の作り方がいっそう洗練されていったが、その流れの中心に亀田の耳があったと言っていい。派手に前へ出すぎず、それでいて確実に曲の印象を更新する仕事ぶりは、日本のポップス職人の理想形のひとつである。

    今日聴くなら

    今日はまず、東京事変や椎名林檎の作品で亀田のアンサンブル感覚を味わいたい。さらに、彼がプロデュースやアレンジで関わった他アーティストの代表曲を並べて聴くと、ジャンルや歌い手が違っても、歌を中心に据えながら楽曲全体の解像度を上げる一貫した美学が見えてくる。6月3日は、J-POPを“いい音”にしてきた耳の仕事へ意識を向ける日にぴったりだ。

  • 5月15日は、常田大希の越境する音楽感覚がJ-POPの景色を塗り替えたことを思い出す

    5月15日は、常田大希の越境する音楽感覚がJ-POPの景色を塗り替えたことを思い出す

    5月15日は、King Gnuとmillennium paradeの中心人物・常田大希の誕生日。近年の日本のポップミュージックを振り返ると、ジャンルの境界をまたぐこと自体がひとつの当たり前になってきたが、その流れを強い説得力で前に進めたひとりが常田大希だ。ロックバンドのダイナミズム、クラシック由来の構築性、ヒップホップ以降のビート感覚を同じ画面に置けることを、彼は作品ごとに証明してきた。

    1992年5月15日、常田大希が生まれる

    常田大希は1992年5月15日、長野県伊那市生まれ。5歳からチェロを学び、東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に進学したのち中退した。2013年にSrv.Vinci名義で活動を始め、メンバーチェンジを経て2017年にKing Gnuへ改名。さらに2019年1月にはアルバム『Sympa』でメジャーデビューを果たし、同年にはmillennium paradeも本格始動させた。クラシックの素養を持ちながら、最終的に向かった先が“閉じた専門性”ではなく“社会と接続するポップ”だったところに、常田の面白さがある。

    J-POPの更新を体感させた存在

    King Gnuが広く浸透した理由は、単に洗練されているからではない。常田が書く楽曲は、難解さを飾りとして使わず、メロディの強さや言葉の引っかかりをきちんとポップの中心に置いている。そのうえで、バンドアンサンブルにはブラックミュージックや現代的なビート感覚、映像的なスケール感が混ざり、従来のJ-POPの文法だけでは回収しきれない響きを作ってきた。millennium paradeで見せる実験性、米津玄師「KICK BACK」やSixTONES「マスカラ」など外部仕事での存在感まで含めると、常田大希は“バンドマン”という枠だけでは足りない。2010年代後半以降の日本の音楽シーンで、越境する感覚そのものをメインストリームに押し上げた立役者のひとりと言っていい。

    今日聴くなら

    まずはKing Gnuの『Sympa』を通して聴きたい。2019年のメジャーデビュー作でありながら、すでに彼らの方法論がかなりはっきり刻まれていて、バンドの攻めた感覚と大衆性が同時に鳴っている。そのあとに「白日」や「飛行艇」、さらにmillennium parade名義の作品へ進むと、常田大希が一つの成功パターンに留まらず、音の輪郭を何度も塗り替えてきたことがわかるはずだ。5月15日は、日本のポップスがどこまで自由に混ざり合えるかを体感させた作り手として、常田大希の仕事をあらためて聴き返したい。