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  • 6月8日は、GLAYのTERUがロックの入口を広げた歌声を思い出す

    6月8日は、GLAYのTERUがロックの入口を広げた歌声を思い出す

    6月8日は、GLAYのボーカルTERUの誕生日だ。1994年のメジャーデビュー以降、GLAYはJ-POPの真ん中でロックバンドのスケール感を更新し続けてきた。その中心でフロントマンを務めるTERUの歌声は、90年代以降の日本の大衆音楽における“届く声”の基準を大きく塗り替えた。

    1971年6月8日、TERUが函館に生まれた

    TERUは1971年6月8日、北海道函館市生まれ。1988年にTAKUROに誘われてGLAYを結成し、当初はドラマーとして参加したが、デモテープに自ら歌を入れたことがきっかけでボーカルへ転向した。1994年5月25日、GLAYはシングル「RAIN」でメジャーデビュー。TERUの伸びやかで輪郭のはっきりした歌声は、バンドサウンドの勢いを保ちながらもメロディを大衆へまっすぐ届ける力を持ち、以後の大ブレイクの核になっていく。

    J-POPとロックの距離を縮めた歌声の意義

    GLAYの成功が大きかったのは、ロックバンドのダイナミズムを保ちながら、広い層に開かれたポップネスを成立させたことにある。その前面にいたTERUは、高音の抜けの良さと感情の乗せ方で、激しい曲でもバラードでも聴き手を置いていかないボーカリストだった。「HOWEVER」や「誘惑」のように異なる質感の代表曲がどちらも強く届いたのは、彼の声が派手さだけでなく親しみやすさを兼ね備えていたからだ。90年代後半の日本で、ロックバンドが国民的な存在になれた背景を考えるとき、TERUの存在は外せない。

    今日聴くなら

    今日はまずメジャーデビュー曲「RAIN」で、GLAY初期の繊細な陰影を確かめたい。そのあと「HOWEVER」を聴けば、TERUの声がバラードでどれだけ広い景色を作れるかがよくわかる。さらに「誘惑」まで並べると、同じボーカリストが切なさと疾走感をどちらも自分のものにしていることが見えてくる。6月8日は、90年代以降の日本のロックがどうやって“みんなの歌”になったのかを、TERUの声からたどり直したい。

  • 5月26日は、GLAYのTAKUROが書いた日本語ロックの大きな流れをたどる日

    5月26日は、GLAYのTAKUROが書いた日本語ロックの大きな流れをたどる日

    5月26日は、日本のロックが大きく開いていった90年代以降を思い返すのにちょうどいい日だ。GLAYのリーダーであり、多くの代表曲を書いてきたTAKUROの誕生日は、ひとつのバンドの人気だけでは語りきれない、日本語ロックの広がりそのものをたどる入口になる。

    1971年5月26日、TAKUROが生まれる

    TAKUROは1971年5月26日、北海道函館市に生まれた。のちに1988年、同じ函館の仲間たちとGLAYを結成し、1994年5月25日にシングル「RAIN」でメジャーデビューする。誕生日の翌日にあたる5月25日がデビュー日という並びも印象的で、5月26日はGLAYの歩みを振り返るうえで自然と意味を帯びる日になっている。ギタリストとして前に立ちながら、バンドの核となる作詞・作曲を担ってきたTAKUROは、単なる演奏者ではなく、日本の大衆音楽の景色を設計してきたソングライターでもある。

    日本語ロックを大衆の真ん中へ押し広げたソングライター

    GLAYが特別なのは、ロックバンドのダイナミズムを持ちながら、巨大なポップスとしても成立したことだ。その中心にいたのがTAKUROの書くメロディーとことばだった。「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「Winter, again」などに代表される楽曲群は、激しさと親しみやすさ、個人的な感情と大きな風景を同時に鳴らし、日本語ロックがスタジアム級のスケールで共有される時代を決定づけた。90年代後半のJ-POPが多様化していくなかでも、GLAYの曲は歌謡性を失わず、それでいてバンド音楽としての熱を保ち続けた。そのバランス感覚こそ、TAKUROの仕事の大きさだと思う。

    今日聴くなら

    今日はまず、メジャーデビュー曲「RAIN」から聴き始めたい。そこから「HOWEVER」や「Winter, again」へ進むと、GLAYが広い世代に届く国民的なロックバンドへ変わっていく流れがよく見える。勢いの強い「誘惑」や「SOUL LOVE」を並べて聴けば、TAKUROがただバラードに強いだけでなく、バンドの推進力そのものを書ける人だということも伝わるはずだ。5月26日は、GLAYを通して日本語ロックがどこまで大きな景色を描けたのかを改めて確かめる日にしたい。

  • 4月29日は、GLAYが「誘惑」と「SOUL LOVE」で98年J-ROCKの勢いを決定づけた日

    4月29日は、GLAYが「誘惑」と「SOUL LOVE」で98年J-ROCKの勢いを決定づけた日

    4月29日は、GLAYが「誘惑」と「SOUL LOVE」を同時発売した日。すでに「HOWEVER」で国民的なスケールへ踏み込みつつあった彼らが、ハードな衝動と開かれたポップネスを2枚に分けて突きつけたこのリリースは、1998年のJ-ROCKの熱量を象徴する出来事だった。片方だけではなく、両方を同じ日に出したからこそ、GLAYというバンドの幅が一気に伝わった。

    1998年4月29日、「誘惑」と「SOUL LOVE」が同時発売された

    GLAYの13枚目のシングル「誘惑」と14作目のシングル「SOUL LOVE」は、1998年4月29日に同時発売された。「誘惑」はライブの起爆剤になるような鋭いロックナンバー、「SOUL LOVE」はリスナーとの心の通い合いを感じさせる開放的なポップソングとして機能し、同じバンドが持つ二つの強みをくっきり見せたのが大きかった。しかもこの2作は、オリコンで2週連続の1位・2位独占という強烈な結果も残し、単なる話題作ではなく“時代を押し切るヒット”として刻まれている。

    ロックの攻撃性と大衆性を両立した、90年代後半J-ROCKの決定打

    90年代後半の日本のロックは、熱狂的な支持を集めながらも、どこまで広い層に届くかがひとつの勝負だった。その中でGLAYは、「誘惑」でバンドの爆発力を、「SOUL LOVE」で歌の普遍性を示し、ロックバンドが巨大なポップの中心に立てることを証明した。この同時発売は、売上の大きさだけでなく、J-ROCKが“尖っているのにみんなが知っている”状態へ入った象徴的な瞬間として重要だ。98年の空気を語るとき、この2枚を外すのはかなり無理がある。

    今日聴くなら

    今日はまず「誘惑」を大きめの音で聴いて、イントロから一気に押し切るGLAYの推進力を浴びたい。そのあとに「SOUL LOVE」をつなげると、このバンドがただ勢いだけで走っていたわけではなく、ちゃんと“みんなで歌える明るさ”まで持っていたことがよくわかる。さらにアルバム『pure soul』まで流せば、1998年のGLAYがなぜここまで広く愛されたのか、その理由が立体的に見えてくるはずだ。