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  • 3月29日は、☆Taku Takahashiの誕生日からm-flo以後の都市型ポップを聴きなおす

    3月29日は、☆Taku Takahashiの誕生日からm-flo以後の都市型ポップを聴きなおす

    3月29日は、☆Taku Takahashiの誕生日。DJとしての現場感覚とプロデューサーとしての設計力を両立させ、J-POPにクラブ・ミュージックやR&B、ヒップホップの温度を自然に持ち込んだ人物として名前が挙がる。m-floの楽曲を聴き返すと、2000年前後の日本のポップスがどこで更新されたのかがよく見えてくる。3月29日は、その仕事を入り口に都市型ポップの流れをたどりたい日だ。

    1974年3月29日生まれ、1998年以降のm-floで存在感を広げた

    ☆Taku Takahashiは1974年3月29日生まれ。DJ/音楽プロデューサーとして知られ、m-floではトラックメイキングとDJを担ってきた。m-floは1998年に活動を始め、☆Taku、VERBAL、LISAの3人編成でJ-POP、R&B、ヒップホップ、クラブ・ミュージックの要素を横断するサウンドを打ち出した。日本のメジャー・ポップスの枠内にいながら、夜の都市の空気やダンスフロアの感覚をそのまま楽曲に持ち込んだ点が、このグループの大きな特徴だった。

    「come again」以後、J-POPの質感を変えたトラックメイク

    m-floは2001年のシングル「come again」で広く知られるようになった。この曲はメロディの強さとビートの洗練が両立しており、クラブ由来のグルーヴを保ちながらポップスとしても強く機能することを示した代表例として語られることが多い。以後のm-floは、客演を軸にした「loves」シリーズなどでも話題を広げ、ジャンルをまたぐコラボレーションの見せ方にも影響を残した。☆Takuの仕事は派手な前面性よりも、楽曲全体の手触りを更新するところにあり、日本の都市型ポップの基準を一段引き上げた存在として捉えたい。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずは「come again」でm-floの突破力を確かめたい。続けてアルバム『EXPO EXPO』に進むと、2000年代初頭のJ-POPがどれほど自由にクラブ・サウンドを吸収していたかが実感できるはずだ。さらに「loves」期の楽曲まで聴くと、☆Taku Takahashiが一貫して、ポップスを閉じたジャンルではなく“つなぐ場所”として扱ってきたことが見えてくる。3月29日は、その感覚が今の日本のポップ・シーンにも続いていることを耳で確かめたい。

  • 3月28日は、島津亜矢の誕生日から“歌怪獣”の射程を聴きなおす

    3月28日は、島津亜矢の誕生日から“歌怪獣”の射程を聴きなおす

    3月28日は、島津亜矢の誕生日。演歌の世界で鍛え上げられた人として知られながら、その声はジャンルをまたいでも輪郭を失わない。近年は“歌怪獣”の異名でも広く知られるが、その説得力は突然生まれたものではなく、長い下積みと本流の演歌で積み重ねた実績の上にある。3月28日は、その歩みをたどりながら、日本の歌唱そのものの厚みを聴きなおしたい日だ。

    1971年3月28日生まれ、1986年に「袴をはいた渡り鳥」でデビュー

    島津亜矢は1971年3月28日、熊本県生まれ。幼少期から歌のコンテストに出場し、1985年には14歳で作詞家・星野哲郎に弟子入りした。翌1986年に「袴をはいた渡り鳥」でデビューして以降、演歌歌手として着実にキャリアを積み、1991年の「愛染かつらをもう一度」は30万枚を超えるヒットになった。早くから実力派として知られていたこと、そして本格派の演歌を真正面から歌い続けてきたことが、後年のジャンル横断的な評価の土台になっている。

    紅白出場と『SINGER』シリーズが示した、演歌の外にも届く歌声

    2001年には「感謝状・母へのメッセージ」でNHK紅白歌合戦に初出場。さらに2015年には「帰らんちゃよか」で14年ぶりに紅白へ戻り、以後も存在感を示した。島津亜矢の評価をさらに広げたのが、2010年に始まったポップスのカバー企画『SINGER』シリーズだ。2018年の紅白で中島みゆき「時代」を歌った際や、その前日の日本レコード大賞で宇多田ヒカル「First Love」を披露した際には、演歌歌手という肩書きだけでは収まりきらない歌唱力が広く話題になった。“歌怪獣”という呼び名が定着したのも、この圧倒的な表現力があってこそだ。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはデビュー曲「袴をはいた渡り鳥」と、代表曲のひとつ「帰らんちゃよか」で演歌歌手としての芯を確かめたい。そのうえで『SINGER』シリーズに進むと、島津亜矢の強みが単なる声量ではなく、曲ごとに言葉の重さと情景を立ち上げる力にあることがよくわかる。演歌の人がポップスを歌う、という見方では少し足りない。3月28日は、島津亜矢の誕生日をきっかけに、日本の歌い手の到達点のひとつとしてその声を味わいたい。

  • 3月27日は、高中正義の誕生日から日本のギターインストの開放感をたどる

    3月27日は、高中正義の誕生日から日本のギターインストの開放感をたどる

    3月27日は、高中正義の誕生日。日本のギターインストゥルメンタルを語るとき、高中の名前はやはり外せない。技巧派として語れる人でありながら、同時に風景まで連れてくるメロディメーカーでもあるところが特別で、海や空や夏の光まで音で思い出させるような感触がある。3月27日は、そのキャリアを手がかりに、日本のフュージョンがどこまでポップに開かれていったのかを聴き返したい日だ。

    1953年3月27日生まれ、サディスティック・ミカ・バンド以降にソロへ展開

    高中正義は1953年3月27日生まれ。1970年代前半から音楽活動を始め、サディスティック・ミカ・バンドやサディスティックスでの活動を経て、1976年に初のソロアルバム『SEYCHELLES』を発表した。日本のロックやスタジオワークの文脈を通りながら、ソロではギターを中心に据えたインストゥルメンタル作品を本格化させていく流れは、この時点ですでに明確だった。演奏の上手さを前面に押し出すだけでなく、軽やかさや色彩感を持ったサウンドで聴き手を広く引き込んだことが、高中の大きな特徴だった。

    『JOLLY JIVE』の「BLUE LAGOON」と『虹伝説』が広げた世界

    高中の存在をより広い層へ押し広げた節目としてよく挙げられるのが、1979年のアルバム『JOLLY JIVE』だ。代表曲「BLUE LAGOON」を収録したこの作品は、フュージョンの文脈にありながら、夏や旅を思わせる開放感で多くのリスナーを引き寄せた。さらに1981年には、イタリアの画家ウル・デ・リコの絵本から発想したコンセプトアルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』を発表。アルバム単体の完成度に加え、その世界観を大掛かりなライブで立体化したことで、高中正義は単なる名ギタリストではなく、物語性を持ったアーティストとして強い印象を残した。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずは『SEYCHELLES』でソロ初期の輪郭を確かめたい。続いて『JOLLY JIVE』を再生すれば、高中正義の音がなぜ長く“景色の見えるギター”として愛されてきたのかがよくわかるはずだ。もう一歩深く入りたいなら『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』も外せない。コンセプト性と親しみやすさがきれいに両立していて、日本のインスト作品がここまで豊かな想像力を持ちうることを教えてくれる。3月27日は、高中正義の誕生日をきっかけに、日本のギターインストの開放感と物語性を味わいたい。

  • 3月26日は、YUIの誕生日から2000年代J-POPのまっすぐな言葉を聴き返す

    3月26日は、YUIの誕生日から2000年代J-POPのまっすぐな言葉を聴き返す

    3月26日は、シンガーソングライターYUIの誕生日。2000年代半ばのJ-POPを思い返すと、バンドサウンドや大型タイアップが強い存在感を放っていた一方で、アコースティックギターを抱えたYUIの歌は、肩肘を張らない言葉でまっすぐに届いていた。春の気配が濃くなるこの日は、YUIの楽曲がなぜ今も青春の記憶と結びついて聴かれ続けるのかをあらためてたどりたい。

    1987年3月26日生まれ、2005年に「feel my soul」でメジャーデビュー

    YUIは1987年3月26日生まれのシンガーソングライター。メジャーデビューは2005年2月23日発売のシングル「feel my soul」で、同曲はフジテレビ系ドラマ『不機嫌なジーン』の主題歌にも起用された。デビュー当時から、作詞作曲を自ら担い、アコースティックギターを軸にしたシンプルな編成で感情を切り取るスタイルは際立っていた。過剰に飾り立てず、それでいて耳に残るメロディを持つ楽曲は、当時のJ-POPの中でも独特の手触りがあった。大きな声で時代を代表するというより、リスナーの個人的な時間に深く入り込むタイプの歌で存在感を広げていったところに、YUIの面白さがある。

    「Good-bye days」「CHE.R.RY」「LIFE」が示した、2000年代のリアルな言葉

    YUIの歩みを語るうえで欠かせないのが、2006年の「Good-bye days」、2007年の「CHE.R.RY」、そして同じく2007年の「LIFE」だ。「Good-bye days」は映画『タイヨウのうた』の流れと結びつきながら広く届き、YUIの名前を一気に浸透させた代表曲の一つになった。「CHE.R.RY」は春の空気と恋心を軽やかに描き、今も季節が巡るたびに思い出される。一方で「LIFE」には、前向きさだけでは片付かない揺れや焦りもにじむ。きれいごとに寄りすぎず、それでも前へ進もうとする感情の置き方が、2000年代の若いリスナーに強く響いた。YUIの歌詞が長く支持される理由は、その等身大の視線にある。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずは「feel my soul」で原点の輪郭を確かめたい。デビュー曲の時点で、YUIの声と言葉の距離の近さがすでに完成されていたことがわかる。続いて「Good-bye days」を聴けば、静かな痛みを抱えたメロディがどれほど多くの人の記憶に残ったかを実感できるはずだ。春らしい気分に寄せるなら「CHE.R.RY」も外せない。3月26日は、YUIの誕生日をきっかけに、2000年代J-POPが持っていた率直さと、ひとりの時間にそっと寄り添う歌の強さを聴き返したい。

  • 3月25日は、荒井由実『MISSLIM』が日本のポップスを軽やかに更新した日

    3月25日は、荒井由実『MISSLIM』が日本のポップスを軽やかに更新した日

    3月25日は、荒井由実が1974年にセカンド・アルバム『MISSLIM』を発表した日です。ユーミン初期の転機として語られることの多い一枚であり、日本のポップスが都会の空気を自然にまとい始めた瞬間のひとつでもあります。

    『MISSLIM』発売という日本音楽史の節目

    『MISSLIM』は1974年3月25日に発売された荒井由実のアルバムです。前作『ひこうき雲』に続く2作目にあたり、松任谷正隆、細野晴臣、鈴木茂、林立夫らの演奏陣とともに作られました。収録曲には「やさしさに包まれたなら」「12月の雨」「きっと言える」など、のちに長く聴き継がれる楽曲が並んでいます。当時の日本のポップスでは、フォークや歌謡曲の存在感がまだ強い時代でしたが、この作品はそれらとは少し違う、軽やかで洗練された言葉の運びとサウンド感覚を提示しました。3月25日は、ユーミンという作家性が本格的に輪郭を帯びた日として見てもいいはずです。

    荒井由実と『MISSLIM』の意義

    『MISSLIM』の大きさは、ヒット曲の多さだけではありません。日常の景色や感情を、過度にドラマ化せず、それでいて鮮やかに印象づける日本語ポップの型を強く押し広げた点にあります。荒井由実の歌は、若さや切なさを前面に押し出しすぎず、少し距離のある視線で街や季節を描くところが独特でした。その感覚に、当時のティン・パン・アレー周辺の洗練された演奏が重なることで、日本のリスナーにとって“都会的なポップス”の像が具体的になっていきます。のちのシティポップ文脈から聴き返しても、このアルバムが持つ軽やかな先進性ははっきり感じられます。

    今日聴くなら

    まずは「やさしさに包まれたなら」。親しみやすいメロディの奥に、荒井由実の言葉と旋律のしなやかさがよく表れています。もう一曲選ぶなら「12月の雨」。季節感と都会の手触りが静かに溶け合うこの曲を聴くと、『MISSLIM』が単なる初期名盤ではなく、日本のポップスの気分そのものを更新した作品だったことがよくわかります。3月25日にこのアルバムを聴き返すと、ユーミンの“はじまり”がいかに完成度の高いものだったかが、あらためて伝わってきます。

  • 3月24日は、持田香織の誕生日からEvery Little Thingの時代を超える歌をたどる

    3月24日は、持田香織の誕生日からEvery Little Thingの時代を超える歌をたどる

    3月24日は、Every Little Thingのボーカリストとして長く親しまれてきた持田香織の誕生日。90年代後半から2000年代にかけてJ-POPの中心を走ったEvery Little Thingを思い返すと、持田の声が運んだ繊細さとポップさのバランスはやはり特別だ。春の入口にあたるこの日は、ELTの楽曲がなぜ今も聴き継がれているのかをあらためて考えるきっかけになる。

    1978年3月24日生まれ、1996年にEvery Little Thingとしてデビュー

    持田香織は1978年3月24日生まれ。Every Little Thingのボーカリストとして広く知られ、グループは1996年8月7日にシングル「Feel My Heart」でCDデビューした。90年代のJ-POPがミリオンセラーを連発し、テレビと街中のタイアップが強く結びついていた時代に、ELTは打ち込みを軸にした都会的なサウンドと、親しみやすいメロディで一気に存在感を高めていく。そこで中心にいたのが持田香織の歌声だった。透明感だけではなく、少し影を含んだニュアンスがあり、楽曲をただ明るいポップスに終わらせない。デビュー期のスピード感の中でも、耳に残る個性がはっきりあったことが、ELTを単なる時代のヒットメイカーで終わらせなかった理由の一つだ。

    「Time goes by」に象徴される、90年代J-POPの普遍性

    Every Little Thingの歩みを語るうえで外せないのが、1998年の代表曲「Time goes by」だ。この曲は失恋や時間の流れを静かに見つめる歌として長く愛され、90年代J-POPの定番曲の一つになった。持田香織自身も後年、この曲を歌っていた当時はまだ歌詞の意味を深く理解し切れていなかったと語っているが、だからこそ当時の若さと切なさがそのまま刻まれているとも言える。ELTはダンサブルな初期曲だけでなく、こうした抒情性の強い楽曲でも大衆に届いた。その振れ幅の広さが、グループの寿命を伸ばし、持田香織を単なるヒット曲の歌い手ではなく、時代の感情を預かるボーカリストとして位置づけた。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはデビュー曲「Feel My Heart」で1996年当時の勢いを体感したい。そこには90年代後半のJ-POPが持っていた高揚感と、新しい時代へ走り出す軽やかさが詰まっている。続けて「Time goes by」を聴けば、Every Little Thingが一過性の流行ではなく、人生の節目にふと戻りたくなる歌を残したグループだったことがわかる。3月24日は、持田香織の誕生日をきっかけに、ELTが日本のポップスに残した普遍的なメロディと言葉の強さを味わいたい。

  • 3月23日は、森山加代子の誕生日から日本のカバーポップス黄金期をたどる

    3月23日は、森山加代子の誕生日から日本のカバーポップス黄金期をたどる

    3月23日は、森山加代子の誕生日。戦後の日本のポップスがまだ洋楽カバーを大きな入口にしていた時代を振り返ると、森山加代子の存在は欠かせない。1960年の「月影のナポリ」で鮮烈に登場し、その後の「白い蝶のサンバ」へつながる歩みは、日本の歌謡ポップがどのように大衆へ広がったかを映している。

    1940年3月23日生まれ、1960年「月影のナポリ」で一気にブレイク

    森山加代子は1940年3月23日、北海道函館市生まれの歌手。大きな転機は1960年6月、イタリアの歌手ミーナの「月影のナポリ」を日本語カバーした同名シングルでデビューしたことだった。この曲は当時50万枚を売り上げる大ヒットとなり、森山加代子はデビュー年にNHK紅白歌合戦へ初出場するという異例の速さで全国区の存在になる。ここで重要なのは、ただ洋楽をなぞったのではなく、海外ポップスの軽快さを日本の歌謡市場の中に自然に着地させたことだ。日本の大衆音楽が国際的な流行を取り込みながら独自の歌文化を育てていく、その初期の勢いを森山加代子は体現していた。

    「白い蝶のサンバ」まで続く、親しみやすい歌謡ポップの強さ

    森山加代子を語るとき、「月影のナポリ」だけでは足りない。1970年の「白い蝶のサンバ」もまた、彼女の代表曲として長く記憶されている一曲だ。60年代の洋楽カバー時代を経たあとも、森山加代子は親しみやすく華やかな歌唱で広い層に届く歌を残した。ここに彼女の大きさがある。カバーポップスの担い手として登場しながら、最終的には日本の歌謡ポップそのものの記憶に残る存在になったことだ。戦後日本の音楽史を見れば、洋楽受容から国産ポップスの成熟へ向かう流れがあるが、森山加代子はその橋渡し役の一人だったと言える。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずは「月影のナポリ」で1960年前後の日本に広がったカバーポップスの空気を味わいたい。軽やかなメロディと親しみやすい日本語の響きが、当時の新しさをよく伝えてくれる。続けて「白い蝶のサンバ」を聴けば、森山加代子が一過性のブームではなく、時代を越えて残る歌を持った歌手だったことがわかる。3月23日は、日本のポップスが海外の流行を自分たちの歌に変えていった、その面白さを改めて確かめる日にしたい。

  • 3月22日は、コブクロのメジャーデビューから路上発のデュオが国民的存在になる流れをたどる

    3月22日は、コブクロのメジャーデビューから路上発のデュオが国民的存在になる流れをたどる

    3月22日は、コブクロのメジャーデビュー日。大阪の路上ライブから支持を集めていた2人が、2001年3月22日に「YELL〜エール〜/Bell」で全国区へ踏み出したこの日は、日本のJ-POPにおいてインディー発の物語が大きく開いていく象徴的な節目でもある。

    2001年3月22日、「YELL〜エール〜/Bell」でメジャーデビュー

    コブクロは小渕健太郎と黒田俊介によるデュオで、1998年に結成された。ストリートライブを通じて地道に支持を広げた彼らは、2001年3月22日にワーナーミュージック・ジャパンからシングル「YELL〜エール〜/Bell」を発表し、メジャーデビューを果たす。この一歩が重要なのは、路上で磨かれた歌と言葉が、そのままポップスの中心へ届きうることを示した点にある。派手な仕掛けよりも、声の相性、メロディの強さ、そして背中を押すような歌詞で聴き手をつかんだコブクロは、2000年代J-POPの王道の一角へと入っていった。

    「桜」「蕾」へ続く、広く届く歌の系譜

    メジャーデビュー後のコブクロは、「ここにしか咲かない花」「桜」「蕾」などで世代を超えて共有されるヒットを重ねていく。卒業、別れ、再出発といった人生の節目に寄り添う楽曲が多く、個人的な感情を歌いながらも、多くの人の記憶に重なる普遍性を持っていたのが強みだった。しかも、その核にはストリート時代から続く生身の歌唱感がある。技巧で圧倒するというより、届く言葉と旋律をまっすぐ積み重ねる姿勢が、J-POPのど真ん中で長く愛される理由になった。3月22日は、その原点を確かめるのにふさわしい日だ。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはデビュー作「YELL〜エール〜/Bell」で、コブクロの出発点にある熱量を感じたい。続けて「桜」を聴けば、彼らが日常の情景をどれほど大きな共感へ変えられるかがわかる。さらに「蕾」まで進むと、メジャーデビューから積み上げてきた表現が、どのように国民的なスケールへ育っていったのかが見えてくる。3月22日は、路上発のデュオが日本のポップスの中心へ届いた軌跡をたどる一日にしたい。

  • 3月21日は、加藤和彦の誕生日から日本のフォークとロックの越境をたどる

    3月21日は、加藤和彦の誕生日から日本のフォークとロックの越境をたどる

    3月21日は、加藤和彦の誕生日。日本のポップス史を振り返ると、フォーク、カウンターカルチャー、そして洗練されたロックやポップへと、時代をまたぎながら軽やかに越境した音楽家はそう多くない。加藤和彦は、その移り変わりを一人のキャリアの中で体現した存在だった。

    1947年3月21日生まれ、ザ・フォーク・クルセダーズで時代の空気をつかんだ

    加藤和彦は1947年3月21日生まれ。1960年代後半、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして広く知られるようになり、1967年に発表された「帰って来たヨッパライ」は日本のポピュラー音楽史に残る大ヒットとなった。コミカルでありながら、当時の若者文化や実験精神を強く感じさせるこの曲は、単なる話題曲ではなく、日本のフォークが既成の歌謡曲とは違う方法で社会とつながれることを示した一曲でもある。加藤和彦はこの段階ですでに、ヒットメーカーというだけでなく、時代の感覚を音に変える人として特別な立ち位置にいた。

    「あの素晴しい愛をもう一度」からサディスティック・ミカ・バンドへ

    加藤和彦の面白さは、一つの成功パターンにとどまらなかったことだ。北山修との共作で知られる「あの素晴しい愛をもう一度」は、フォークソングとして長く歌い継がれるスタンダードになった。一方で1970年代にはサディスティック・ミカ・バンドを率い、よりロック色の強いサウンドへ進む。ここでは海外のロックやポップスを参照しながらも、日本語の感触や都市的なセンスを失わず、後のニューウェーブやシティポップにもつながるような洗練を先取りしていた。フォークの人、ロックの人と単純に括れないところに、加藤和彦の音楽家としての大きさがある。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」で、60年代の日本のポップが持っていた遊び心と突破力に触れたい。次に「あの素晴しい愛をもう一度」を聴けば、加藤和彦がメロディメーカーとしてどれほど強かったかがよくわかる。さらにサディスティック・ミカ・バンドの作品へ進むと、日本の音楽がフォークからロック、そしてより自由なポップ表現へ広がっていく流れが立体的に見えてくる。3月21日は、その越境の軌跡をたどるのにぴったりの日だ。

  • 3月20日は、竹内まりやの誕生日からJ-POPの普遍性を聴き直す

    3月20日は、竹内まりやの誕生日からJ-POPの普遍性を聴き直す

    3月20日は、竹内まりやの誕生日。日本のポップスを長く聴いていると、時代ごとの流行をくぐり抜けながら、何度でも戻ってきたくなる曲を書く人がいる。竹内まりやはまさにその一人で、シティポップ文脈の再評価だけでは収まりきらない、J-POPの普遍性そのものを体現してきた存在だ。

    1955年3月20日生まれ、1978年にデビューした竹内まりや

    竹内まりやは1955年3月20日生まれ、島根県出身のシンガーソングライター。大学在学中から音楽活動を始め、1978年にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビューした。初期から英米ポップスの影響を感じさせる軽やかな感覚と、日本語の響きを崩さない歌作りを両立していたのが大きな魅力だった。80年代以降は自身の歌手活動に加え、作家としても存在感を強め、ポップスを“おしゃれ”で終わらせず、生活に残る歌へと仕上げる力を発揮していく。

    自作曲と提供曲の両輪で、J-POPの定番を作ってきた

    竹内まりやの重要さは、自分で歌う代表曲と、他の歌手に託した楽曲の両方が長く愛されている点にある。1984年のアルバム『VARIETY』に収録された「PLASTIC LOVE」は、後年になって世界的な再評価を受け、シティポップを象徴する一曲として広く知られるようになった。一方で、薬師丸ひろ子「元気を出して」や中森明菜「駅」など、提供曲やセルフカバーを含む仕事でも、聴き手の記憶に強く残る言葉と旋律を生み出してきた。派手な一発ではなく、年月とともに意味を増していく曲を書けることこそ、竹内まりやが日本の音楽史に刻まれている理由だ。

    今日聴くなら

    今日聴くなら、まずは「PLASTIC LOVE」で竹内まりやの洗練されたポップセンスを味わいたい。次に『VARIETY』へ進めば、80年代の空気をまといながらも古びない楽曲の強さがよくわかる。さらに「元気を出して」や「駅」に耳を伸ばすと、彼女が単なるシティポップのアイコンではなく、人生の節目に寄り添う言葉を書き続けてきたソングライターだと実感できる。3月20日は、竹内まりやの曲がなぜ今も日常に戻ってくるのかを確かめたくなる日だ。